武士道の男、板垣征四郎

日本大好き!五節句の会

2010年02月22日 22:38

板垣征四郎というと、満州国建国というイメージがあるかもしれない。

今回は満州の話ではなく、終戦近い昭和20年4月シンガポールの第七方面軍司令官に就任したときの話である。



シンガポールには英米の捕虜対する慰問品が連合国から送られる事なり、緑十字船阿波丸に満載された物資がシンガポールに届けられた。(当時の緑十字船は戦時中でも攻撃される事の無いよう保障された船だ)
荷物が陸揚げされ空になった阿波丸に、今度はシンガポールから内地へ帰還する日本人たちが定員をはるかに超え山のように乗り込んだ。
その数は2000人にも達した。
交戦国双方から安全を保障されているはずのこの船が4月1日台湾海峡にさしかかたとき、米潜水艦の違法な魚雷攻撃で撃沈され、二千余命の命が海の藻屑と消えた。

突如として消息を絶ったこの船の運命がどうなったのか?
最初はわからなかったが、阿波丸が米潜水艦の攻撃で撃沈されたという真相が明らかになったのは、かなり日数が経ってからである。
この事実を知った第七方面軍司令部は激昴した。怒りにかられた参謀たちは、このような非人道的な行為に対する報復のため、捕虜におくられた慰問品を没収し海中に投棄して見せしめにする事で一致した。

就任したばかりの軍司令官板垣のもとへ、代表が参上してこの決議を報告し、板垣の許可を得ようとした。

ところが、これに対し板垣は、全身に怒りを漲らせ、語気鋭く次のように叱責した。
「ばか者!! 敵の卑怯な振る舞いに対して、こちらが卑怯な態度で対応したら日本武士道の魂はどうなるのか。 捕虜の方々には丁重に慰問品をお配りせい!!」

板垣のこの一言に、一同はその瞬間まるで炎天下に氷水を浴びせかけられたように理性を取り戻した

時として異常な群集心理に支配されやすい、戦地の緊張した空気の中、板垣のこの叱責はまさに鶴の一声だった・・・・。

戦後、板垣征四郎はA級戦犯という事で極東裁判では死刑になるが、日本武士道を貫き通した日本軍人では無かったのか・・と思う次第です。



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