猿(秀吉)の直感

日本大好き!五節句の会

2010年02月01日 11:46

他のブログで秀吉の話が出て・・・この話を思い出しましたので、今回はこの件を書きます。

豊臣秀吉は若い頃は、皆様ご存知の通り猿と呼ばれていました。

猿(秀吉)は貧しい農家に生まれた為、まともな学問を受けた訳では有りません。
しかし、直感と言うか・・感性というか、並外れたいたものを持っていたのでしょうね。
その直感と感性で国を治め、独特の文化も創ったのでしょう。




イエズス会のフランシスコ・ザビエルがスペインから日本に来たのは天文十八年(1549年)の頃です。
日本はまさに戦国時代・・・世界は欧州列強がアジア・アフリカ・南米を植民地にしていった時代です。
日本ではこれがキリスト教布教の最初といわれてます。

秀吉はキリスト教宣教師と会っていますが・・・この時、秀吉はこの宣教師の話を聞きながら「こ奴は何かを企んでいる。日本人には理解を超える部分が多すぎる」・・・などと、思ったのではないでしょうか。
その時点で、秀吉はこの宣教師がエンコミエンダの手先だという事を直感的に感じたのではないか・・・などと思ってしまいます。
※エンコミエンダ制(スペイン語:Encomienda)とは、スペイン王室が植民者に与えた先住民支配の信託(エンコミエンダ)制度である。

危険を感じた秀吉は天正十五年(1587年)にバテレン追放令を出し・・・日本は一貫としてキリスト教に対し禁制政策をとりました。

同じ時代南米・アフリカ・アジア諸国は、キリスト教布教の宣教師を入れ、殆どが植民地とされています。そして、奴隷のような扱いを受け、白人から国の利益を搾取された事実があります。

その意味では、猿(秀吉)の動物的直感でキリスト教に危険を感じたのではないでしょうか。
まさに、日本人ならではの直感・・感性だったのかもしれません。(秀吉が欧州の植民地化を未然に防いだといえるかもしれません)

ちなみに、キリスト教には奴隷を禁止するような事は書いてありません。
この日本には奴隷という、制度も無ければ概念も文化もありません。
ですから、白人のように奴隷貿易などする人間は最低の人種だと思ってたのかも知れません。
(江戸時代の文献を読んでも、日本人は奴隷貿易をする白人を蔑んでいる記述が多く有ります)

昔の日本人は白人に対しても、引けを取らず日本人の感性で対応していたんですね。

なんか・・今の外国人地方参政権に反対する理由・・直感的に危ない!!・・・と似てません?


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