日本の領土には数多くの島があります。
その中で戦前に今の北方領土(千島列島最北端の島)『占守島(しゅむしゅとう)』 がありました。
下の地図の赤い部分です。

実はこの島は昭和20年8月15日の終戦以降でも、ソ連との戦いがあったのです。
日本が終戦を迎えた昭和二十年八月十五日から三日経った八月十八日に、 天皇の詔勅に従い武装解除を進めていた、千島列島最北端の島『占守島』 の日本軍に対し、ソ連軍が突然上陸、攻撃をかけてきたのです。
卑劣極まりのない行為を、ソ連は仕掛けてきたのです。
それに応戦した占守島第九十一師団の心遣いは素晴らしいものがありました。
終戦の時に、占守島には日魯(にちろ)漁業の従業員の方が二千五百人ほどいました。 この人たちは国民の食糧確保の為に悪い戦局を承知で、缶詰工場で働いていましたが、 その中には約四百人の若い女子工員も混じっていました。終戦を迎え、内地からの迎え の船が来れば真っ先に彼女たちを送り返す手筈を整えているところへのソ連軍の攻撃 でした。参謀長と世話役の大尉は「このままでは必ずソ連軍に陵辱(りょうじょく) される被害者がでる。
なんとしてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、 当時島にあっ、た独航船二十数隻に約四百人を分乗させ、霧に覆われた港から北海道 に向けて出港させました。ソ連機の爆撃が続く中、日本軍も高射砲の一斉射撃で必死 の援護を行い無事に出港させることが出来たのです。「全員、無事に北海道に着いた」 との電報が島に届いたのは、それから5日後でした。停戦後に上陸してきたソ連軍は女性 を捜し回ったそうですが、あとの祭りでした。もし、彼女たちがいち早く島を出ることが 出来なかったことを想像すると、占守島の第九一師団の心遣いが人ごとでなく心にしみます。
終戦を迎えた後にも、身を持って卑劣なソ連の進行を妨げ、ソ連軍占領予定地点の北海度中部まで 本土上陸を阻止し、多くの婦女子を占守島より脱出させてソ連軍より守り通し、上陸しようとするソ連軍を 水際から一歩も踏み入れさせず、勇敢に戦って亡くなった英霊に、そしてソ連軍の捕虜になってシベリア に抑留された日本軍六十五万ともそれ以上ともいわれる数の日本人が戦後シベリア等に抑留され、 多くの人が命を落としたシベリア抑留事件という戦後のソ連の国家犯罪も、我々日本人が忘れ てはいけない歴史の一つではないでしょうか、その英雄に敬意を称す。
靖國神社境内で配布
東京都大田区東糀谷四-三-四・士魂会事務局編より
同じようにソ連軍の蛮行が満州でもあり、その時は沢山の女性が陵辱され自害、または殺害される被害がありました。
判断が一歩間違えば、大変な事態になっていたかもしれません。
<次期参院選全国比例区出馬>
五節句の会は藤井厳喜さんを応援いたします。
たちあがれ 日本! 藤井厳喜!