柴五郎とは1900年の起きた「義和団事件」の時に活躍し、世界に名を轟かせた人物である。
「義和団事件」とは、簡単に説明すると清朝末期に起こった外国人排斥運動であり、「北清事変」といわれている。
当時の政府(清政府)が義和団の暴動を沈静させないで、逆に奇貨とし欧米各国に宣戦布告したのである。
1900年6月、義和団の勢力は北京まで及んだ、この時公使館付武官として着任していたのが柴五郎中佐であった。

北京は徐々に包囲され、義和団の攻撃もはじまり、外国人に銃口を向けてきた。圧倒的大多数の前に、外国人たちの生命は風前の灯火に等しかった。
こうした中で柴五郎は状況を冷静に分析し、北京篭城を指揮した。当初は黄色人種であるがゆえにまともに相手にされなかったが、戦闘が長引くにつれてその抜きん出た能力が各国によって評価されるようになった。
たとえば、イギリス義勇軍兵士の一人シンプソンは
「日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付武官のリュウトナン・コロネル・シバである。・・・・この小男は、いつの間にか混乱を秩序へまとめていた。彼は部下たちを組織化し、さらに大勢の移民たちを招集して、前線を強化していた。彼はなすべきことを全てやった。」
イギリス公使館ランスロット・ジャイルズは
「日本兵が最も優秀だった事は確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見做されている。日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水平が、これにつづく。しかし、日本兵はずば抜けて一番だと思う。」
この柴五郎中佐の巧みな指揮、日本兵の奮戦によって北京の外国人は全滅を逃れ助かったのである。
戦後、イギリス公使は
「北京篭城の功績の半ばは、特に勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と各国の外交官の前で賞賛している。
この後、柴五郎の名は世界に轟きわたったのだ。その功績により日英同盟が結ばれたといっても過言ではない。
ちなみに・・・その義和団事件を映画にした「北京55日」この映画で活躍したスミス中佐は、柴五郎中佐(コロネル・シバ)がモデルになっている。

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